マイライフ(昭和区)

マイライフ(昭和区)

マイライフ集合写真

マイライフ(昭和区)の特色

社会福祉法人AJU自立の家が1990年4月に開設されました。その中で福祉ホームサマリアハウスはAJU自立の家の事業の柱であり、そこで生活をはじめた重度障害者の自立は受身の生活ではなく、4年という期限の間に自分の生活を組み立てる術を身につける場として、介助者としてのヴォランティア集めからはじまりました。

1993年10月から名古屋市の委託事業として開始された「自立支援事業」は、ケアスタッフが食事・トイレ・入浴・起床・就寝などの最小限の内容を最小限の時間数で介助保障するものでした。最初の福祉ホームの卒業生は、社会資源というにはあまりに小さな制度ながら、有償の介助者が派遣されることで地域生活の足がかりを得ました。当初の定員は10名、一人に一日7時間という、時間数や利用者数にも制限がある中、障害当事者たちの粘り強い交渉が何度も繰り返され1998年には、その人数が20名となりました。

浅草での記念写真

2001年5月、名古屋市ホームヘルパー上限撤廃抗議行動の結果、ヘルパー派遣時間数が拡大、現在の名古屋市におけるヘルパー制度充実の足がかりとなりました。そして2001年6月(平成13年6月)身体障害者居宅介護支援事業として、巡回型(1日30分、5回)と滞在型が始まりました。

2003年4月(平成15年4月)措置から契約にをうたい文句に、支援費制度がスタートし、AJU自立の家では、「障害者ヘルパーステーション・マイライフ」として、名古屋市の基準該当事業所の認可を受けました。これが「マイライフ」のはじまりです。

その後も、マイライフは障害当事者と共に歩み続け、現在では多くのサマリアハウスの卒業生や地域の障害者が、マイライフを利用し自立生活を果たしています。

駅前での集合写真

障害当事者の自立を支えるためには、私たちの考え方に賛同してくださる多くの方々の協力が必要です。そのためマイライフでは支援してくださる方を幅広く募集し、養成と育成にも力を入れています。

My Life(マイライフ)の名前の由来にあるとおり、どんなに重い障害をもっていても、夢と希望がもて自分らしく生きていける人生を、共に創りあげていきたいと私たちは考えています。

マイライフの利用者紹介

地域で自分らしく生活をする障害当事者を紹介します。

AYUTO

僕は地域で一人暮らしをしています。普段は自宅でパソコンを使った仕事をしたり、大学をまわって障害者の啓発活動をしたり、車椅子体験などの講師活動をしています。

お休みの日は電動車椅子サッカーなどをしています。

自立生活の魅力は誰にも干渉されず自由なところです。最近はスポーツをしたり観戦することが楽しいです。将来の夢は電動車椅子のサッカー日本代表になりたいです。電動車椅子サッカーとは簡単にいえば足を使わないサッカーです。1チーム4人でプレーしバスケットボールのコートで練習や試合をします。

僕は野球やサッカーが好きなので、日本各地の球場やスタジアムに見に行ったりアメリカの野球やヨーロッパのサッカーも現地へ行って見てみたいです。

AYUTOの写真

MASAMI

私は週2回AJU自立の家のデイセンターを利用しています。また実習生の車椅子体験の際にお話させてもらったり、地域の大学生や高校生を対象に障害者が地域生活を送るとはどのようなものかという体験談を話す講師もしています。そういった啓発活動をするために、障害当事者が集まる集会や勉強会に参加し、当事者講師としてスキルを付けています。お休みの日は、買い物に行ったり、カラオケに行ったりしています。また、2から3か月に1回ライブに行ったり、観劇に行ったりもして楽しんでいます。

自立生活の魅力は、施設だと時間的な拘束があったり禁止事項などの規則などがたくさんあり、好きな時に外出したりなど好きな事ができません。家族と一緒に過ごしていても、これと同じ現状でだと思います。しかし、介助者を生活の中に取り入れて自立生活をしていく事によって好きな時に好きな事をできます。これが最大の魅力です。

私の夢は携帯でも小説が書ける時代なので、携帯サイトで小説を執筆し携帯小説家になりたいです。あと将来結婚して子供がほしいと思っています。

私はヘルパーのみなさんに手助けしてもらいながら自分の好きな事が出来る「イキイキとした生活」がしていきたいです。また障害当事者の目線から、ライブ会場など社会の様々な場所がバリアフリーになっていくことや人との間の心のバリアフリーが実現していくように働きかける事をしたいと思っています。

MASAMIの写真