福祉映画祭

福祉映画祭


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-----以下は、2015年の記述です。-----

プログラム


13:00  映画「新しいアプローチ」(日本語字幕)21分
13:21  しゃべり場 90分
「社会のなかで生きにくくされている人たちから ~私たちが感じる・・・今~」
司会・進行:ジェイムス・ヘイブンス氏
その他メンバー20人(いろいろな障害、いろいろな立場の人)
15:00  (休憩)
15:15  映画「42~世界を変えた男~」(日本語字幕・場面説明)128分
17:23  終了

▼福祉映画祭特設サイト
http://eigasai.minim.ne.jp/


日時:平成27年6月13日(土)、14日(日)
会場:名古屋市北区役所講堂 名古屋市北区清水4丁目17-1
受講料:1日 1,000円
定員:1日 460名(2日間で、のべ920名)
主催:社会福祉法人AJU自立の家
後援(予定):愛知県、名古屋市、愛知県社会福祉協議会、名古屋市社会福祉協議会、愛知県重度障害者の生活をよくする会



福祉映画祭 IN NAGOYA 2015 

「楽しくなければ福祉じゃない」~映画を通して福祉を考える~

▼映画祭を始めたきっかけ
・1981年、国際障害者年で、全国で記念事業の開催があったが、3年も経つと障害者への意識や関心が薄れてきた。これではいかんと、「愛知県重度障害者の生活をよくする会」(よくする会)の映画好きの仲間の発案で1983年9月、国障年で、東京でも開催された福祉映画祭(映画祭)を名古屋でやろうとなり、始めた。
・以来、AJU車いすセンター主催で、実行委員会形式で、2003年6月に終了するまで、20回の開催を重ねてきました。
・「福祉」というと、「暗い」、「重たい」などのイメージを抱かせることがあるが、映画祭は「楽しくなければ福祉じゃない」をテーマに、映画評論家の白井佳夫さん、映画監督の柳澤寿男さん(故人)、俳優の天野鎮雄さんを始めとする多くの方の協力と支援を得て、企画、実施をしてきました。
・第1回は、いわゆる俗に言う「福祉」関係の映画を中心に一日に約10本もの映画を上映、4日間開催したが、映画評論家白井佳夫さんから「商業映画と言われる映画にもさりげなく『福祉』を取り上げた作品は沢山ある」とのアドバイスがあり、その後は、「福祉」関係の作品だけでなく、映画館で上映される作品も上映するようになった。

▼映画祭の内容
・3日間の映画祭で、映画やVTR等の上映及び各日のテーマにそい、フォーラムやシンポジウム、交歓会などを開催。テーマも、「障害」だけに限らず、「高齢者」や「こども」等

▼ゲスト陣
永六輔さん(放送タレント)、山田太一さん(シナリオライター)、藤子不二雄Aさん(漫画家)、高畑勲さん(映画監督)、東陽一さん(映画監督)、高岡早紀さん(女優)、椎名誠さん(映画監督・作家)、大林宣彦さん(映画監督)、鈴木敏夫さん(スタジオジブリ・プロデューサー)、新しいアプローチ監督ファーン・フィールドさん(米国から)、新しい福祉の取り組みをしている人等


▼情報保障について
・「バリアフリー上映会」としての取り組みにもチャレンジ。
・聴覚障害者に対する配慮として、字幕団体の協力により、第10回目以降は、ほぼすべての映画に字幕。シンポジウムやフォーラム等では、手話通訳・要約筆記の配置、会場内に磁気誘導ループを敷設。聴覚障害者優先席を設け、さらに、裁判所の書記官による、ゲストがしゃべった言葉を文字に変換しスクリーンに投影する電子速記も試みた。
・視覚障害者への配慮としては、点字パンフレットの作成、映画の画面の内容を伝える朗読ボランティアによる場面説明。アナウンサーの方による音声ガイド(シーン・ボイスガイド)。
音声ガイドはその後、アナウンサーの方を講師にシーンボイス・ガイド養成講座へ。

▼その後、
20回で終了したが、これまでにも、「映画祭をやりたいよね」といった声はチラホラとあった。

▼この度、AJU自立の家25周年をひとつのきっかけとし、大上段に「福祉とは」というものではなく、楽しい啓発事業の一環として映画祭を開催出来ればと考えました。
そして、2003年からこの10年の間にあった大きな出来事は①「東日本大震災」、②「差別解消法の制定」です。この点をテーマに盛り込み、映画祭の開催をしたいと考えました。また、次世代育成の観点からも「若手」が中心となった企画をプログラムに盛り込みました。

内容説明

▼映画「新しいアプローチ」(21分)
監督:ファーン・フィールド/21分/’78年オスカー賞ノミネート作品
障害者雇用促進協会とテレビプロデューサーが手がけた、ハリウッド映画。障害者の生の声を聞いて作られたこの作品は、それまでの障害者観を覆す。バットマンのマイケル・キートンの映画初出演作品でもあり、オスカー賞ノミネート作品。

▼しゃべり場(90分)
  「社会のなかで生きにくくされている人たちから
   ~彼ら、彼女らが感じる・・・今~」
 司会・進行:ジェイムス・ヘイブンス氏
その他メンバー20人(いろいろな障害、いろいろな立場の人)

映画「42~世界を変えた男~」 2013年/128分
1947年、ブルックリン・ドジャース(ロサンゼルス・ドジャースの前身)のゼネラルマネージャー・ブランチ・リッキーは、ニグロリーグでプレーしていたアフリカ系アメリカ人のジャッキー・ロビンソンを見出し、彼をチームに迎え入れる事を決める。
だが、当時はまだ黒人差別が激しく、メジャーリーグも白人だけのものだった事から、彼の入団は球団内外に大きな波紋を巻き起こす。(ウィキペディアから抜粋)
映画「42~世界を変えた男~」ホームページ http://wwws.warnerbros.co.jp/42movie/

ゲスト紹介

ジェイムス・ヘイブンスさん
本名(フル・ネーム) HOWARD JAMES HAVENS ( ハワード・ジェイムス・ヘイブンス )。 1971年 (昭和46年) 1月2日 午後4:18分 神奈川県横須賀市米海軍基地内で生まれる。父は元米海軍人 (現在、長崎県佐世保基地勤務)。母は日本人。生後2週間にテネシー州メンフィスに引っ越す。7歳から9歳までバージニア州ノーフォークに住んだ後、日本へ。12歳まで横浜市根岸にある米軍住宅地に住んで、再びアメリカへ。14歳までフロリダ州ジャクソンビルに住む。横浜に戻ったジェイムス 、15歳の衝撃的な親の離婚を機にバンド活動に専念する。「音楽」、「車」、「女」、に目覚めたジェイムスは、無事(?)1989年、横須賀米海軍基地内のアメリカン・ハイスクールを卒業。その年、日産自動車へ入社。大井製作所海外事業部に配属されたものの、3年後に退社。英会話教材の販売をしていた会社に入社。そこにイラン人の IMAHD(イマード)という先輩営業マンがいて、電話の取次ぎのさいに“ハワード”と“イマード”がよく間違われ、ミドルネームである“ジェイムス”を使うようになる。その他、英会話教師やトラックの運転手などをしながらデモテープを作成。多数のオーディションを受け、1993年9月、開局まじかの ZIP-FM 77.8 平日朝7時から10時までのワイド番組“ZIP MORNING BUZZ”のミュージック・ナビゲーター(DJ)として抜擢され、迷う間もなく名古屋に引っ越す。この番組でDJデビューを果たしたジェイムス、4年半後の番組終了まで東海地区ダントツNO.1の聴取率をキープし、朝のFMラジオを’変えた’実績を残す。